非言語的コミュニケーションのもつ力 その2

4月 6th, 2020

 今回も前回に引き続き、言葉を介さないコミュニケーションのもつ大きな力についてお伝えしようと思います。

 前回は、はじめにクレバー・ハンスと呼ばれた算数のできる馬の話を通して、動物は人間の無意識なしぐさや表情の変化などをシグナル(合図)として受け止め、それに対して敏感に反応することをご紹介しました。算数を教えた飼い主さえも気づかないところで、飼い主自身が意図することなく発していたシグナルに馬は反応していたのですが、それがあたかも算数の問題をそれが理解して解いているかのように見えていたのでした。

 次に、ラットによる実験の結果を通して、人間が「能力がある」と思い込んでいたか、「能力がない」と思い込んでいたかによって、もともと能力に違いのないラットの訓練成果に違いが生じるということをご紹介しました。人間が自分の感情を抑え、同じ訓練を施したつもりでも、能力や適性についての先入観が成果に影響を及ぼしたのでした。実験者は公平に振る舞おうとしても、前知識に基づく予想が無意識のシグナルを発信していたのです。

 この実験を目の当たりにしたなら、大概の人は「これは人間にも当てはまるのではないか」と思うことでしょう。事実、前述のラットの実験に関わった心理学者のロバート・ローゼンタールもそう考え、次のような実験を行いました。

 被験者に何枚かの写真を見せ、「これは成功の気持ちが感じられる写真か、それとも失敗の気持ちを感じさせる写真かについて評価してもらう実験を行いました。実験をする学生(実際には実験の対象者でしたが)に前知識を与え、それが結果にどう影響するかを調べるのが意図でした。

 実験に先立ち、学生たちを二手に分けました。片方には「これらの写真は、すでに行われた同様の実験で、成功の気持ちが表われていると評価されたものだ」と伝え、もう片方には「失敗の気持ちが表われていると評価された写真だ」と伝えました。実際は、どれも多くのサンプルや実験を通して「成功でも失敗でもない」と判定された写真でした。学生たちはそのことを知りません。さて、与えられた前情報は実験結果に何らかの作用を及ぼしたでしょうか。

 なお、被検者への説明は予め用意した台本通りにするよう指示しました。学生たちが、自分の予想を被検者に伝えてしまうリスクを避けるためです。

 さて、実験の結果はいかに。「成功の気持ちが表われた写真だ」という前知識を得ていた学生は、被検者からも同様の反応を予想(期待)します。そして、実際に予想に沿った回答を被検者から引き出しました。いっぽう、「失敗の気持ちが表われた写真だ」と知らされていた学生は、その前情報に合致した回答を予想し、その通りの回答を得ていたのです。言葉に出さなくても、実験者(学生)の予想は確実に被検者の判断に影響を与えていたのでした。

 前出のローゼンタールは、思い込みに基づく予想が教育現場で働く教師にも影響を及ぼすことを実験で明らかにしています。IQテストの結果が平均点だった生徒(本人にはテスト結果を知らせていません)のことを、「たぐいまれな知的才能を有する生徒が見つかった」と教師に偽って伝えたところ、その教師の生徒に対する評価は著しくあがりました。この生徒に高い評価をするいっぽう、他の生徒に対しては好奇心が足りないなど、相対的に低い評価をするようになりました。なんだか、思い込みやレッテル張りの恐ろしさを感じてしまいますね。

 教師が「才能あり」と思い込むと、生徒のテスト成績に影響することも確認されています。特に根拠がないにもかかわらず、「才能がある」「賢い」と教師に思い込ませた生徒のグループは、一定期間後に実施されたテストで、特に前情報を与えられなかった生徒のグループよりも相対的に高いポイントを得ていました。「賢い」というレッテル張りが、教師の指導成果をより高めることになったのです。

 どうしてこのようなことが起こるのでしょう。様々な調査や研究の結果、実験者の予想が被検者に伝わる要因として、少なくとも声の抑揚や音調が関わっているのは間違いないものの、影響する割合としては約半分程度だということが判明しました。しかし、もう半分が何であるかはまだわかっていません。作用しているのは無意識レベルで発生するシグナルであり、それがどういうものかを具体的に証明するのはきわめて困難だったからです。

 ただし、無意識に発生するシグナルがコミュニケーションを成立させ、子どもをより望ましい方向へ導くとしたら、その効果を大人は自覚しうまく生かしたいものです。家庭教育にも、学校の教育活動や学習塾の教科指導の効果にも当てはめて考えることができるのではないでしょうか。この記事は家庭の保護者を対象にしていますので、これから非言語的コミュニケーションの効能を家庭教育に照らして考えてみようと思います。

 まずは、みなさん自身の家庭におけるわが子への接しかたを振り返ってみてください。みなさんは、お子さんに大きな期待を抱いておられると思います。また、これまでその気持ちを言葉に出してお子さんに伝えた経験も少なくないことでしょう。では、お子さんは親の思いをしっかりと受け止め、何につけ親が満足するような行動やふるまいをしておられるでしょうか。おそらく多くのかたは、残念そうな表情とともに首を横に振られるのではないでしょうか。

 「これまでの文脈と違う。親が期待すれば、それは子どもに好影響を及ぼすという流れだったはず」とお怒りになるかたもおられるかもしれませんね。しかし、本題は無意識のサブリミナルなコミュニケーションの影響力です。親の無意識な態度やふるまいに問題はなかったでしょうか。たとえば、

 児童期の子どもは基本的に何事も親がかりです。思春期になると、ことごとく親に反発し、「親なんてどうでもよい」と言わんばかりの態度を取る子どもも、まだ今の段階では親に全面的に依存して生活しています。そのため、親の一挙手一投足をよく観察しており、自分に関わる親の態度には敏感に反応します。もしも親が自分に対してネガティブな気持ちをもっていると察知したなら、それは子どもの望ましい行動に対するブレーキの作用を果たすことになるでしょう。

 このことに関連して保護者に留意いただきたいのは、親がわが子に対して何らかの期待をしているのと同じように、子どものほうも親に対して何らかの期待の気持ちをもっているということです。その期待が何かをズバリ言えば、「自分のがんばりを認めてほしい」「自分を正当に評価してほしい」ということではないでしょうか。「自分は親に期待され、優しいまなざしで見守られ、いつだって応援されている」という気持ちが揺らがなければ、子どもは親の期待に応えようと必死になる。それが子どもというものです。親はそのことを常に意識すべきではないでしょうか。

 ある保護者に、「もっとお子さんをほめてあげてください」とお願いしたことがあります。すると、「あら、私はほめてやりたいのに、うちの子ったら全然ほめるようなことをしてくれないんですもの」と、「ほめないのは子どものせいだ」と言わんばかりに切り返されました。これでは非言語的コミュニケーションなど成立するはずがありません。子どもが無言で発するシグナルに気づくことなど不可能だと思うからです。このときは、さすがにその男の子のことをかわいそうに思ったものでした。「ほめて励ますという行為は、努力との交換条件であってはならない」「親がわが子をほめるのは、わが子のがんばりを引き出すためなのだ」--これは以前ご紹介した、ある教育学者の著書にあった言葉ですが、ほんとうにその通りだと思います。

 「うちの子は親の期待通りにがんばってくれない」と嘆いておられる保護者には、次の点について振り返っていただきたいと思います。

・わが子が親に何を期待しているかを考えたことがありますか?

・「うちの子はやれる」という信念をいつの間にか失ってはいませ
 んか?

・わが子に期待を差し向け、優しい眼差しで見守ることを忘れてい
 ませんか?

 親の表情やしぐさを見て、子どもは自分に向けられている親の本心を感じ取ります。子どもはいつも親の期待通りにはがんばってくれないものですが、「うちの子はやれる!」「今はできなくても、やがてはきっとできるようになる!」――この信念を失わず、期待の眼差しをお子さんに絶えず発信してあげてください。親の思いは、必ずお子さんに届きます。そして、お子さんは確実に親の期待に沿った成長を遂げられることでしょう。

Posted in アドバイス, 子育てについて, 家庭での教育, 家庭学習研究社の特徴

おすすめの記事