国語は70~80点取れば十分!?

4月 19th, 2021

 みなさんのお子さんは、国語が得意ですか? それとも苦手ですか? 言わずもがなですが、入試対策の勉強で国語を苦手にする受験生は少なくありません。そもそも、初等教育の大目標は母国語の習得にあり、子どもたちはその途上で受験勉強をしているのですから、求められる言語レベルに届かず苦労する可能性は十分にあります。特に語彙獲得や思考の発達が遅れがちな男子の場合、「国語は苦手」と感じるのは無理もありません。

 中学受験において、国語は算数と並ぶ主要な科目で、理科や社会よりも配点が高いのが普通です。理由は上述のとおり母国語を学ぶ科目であり、日常で欠かせない生活語に密着する科目であり、知識獲得の手段となる言葉を扱う科目だからです。ですから、国語のない中学入試はほとんど存在しません。

 中学入試における国語の特徴は、「苦手にすると、大きなハンディとなる(他の受験生に差をつけられてしまう)いっぽう、他者に大きな差をつけるのは難しい科目である」ということでしょうか。たとえば、弊社のマナビーテストの成績を調べると、算数や理科、社会と比べると、100点(満点)が滅多に出ない科目です。90点以上の上位者も稀で、60~70点台がボリュームゾーンとなっています。また、50点以下、特に40点以下の受験生は他の科目よりも少ないという特徴があります。

 差がつきにくい理由としては、国語が日常の読み書きに関わる科目であるということがあげられるでしょう。また、日本語環境で育った子どもなら、たいてい日本語の読み書き能力は一定の水準に達しています。ですから誰でも一定の読み書き能力は携えています。ですから、差がつきにくいのは当然かもしれません。その代わり苦手にすると厄介です。大多数がクリアしている問題を落としてしまうのですから、入試で大きな不利をかこつのは必定です。

 もう一つ、高得点を得にくい理由は何でしょうか。国語には単元割がなく、文学的文章(物語)、説明文、随筆、詩などの大ざっぱなジャンル分けがあるにすぎません。したがって、何を勉強したらよいのかがわかりにくい科目です。また、物語の設問に対する正解は、絶対的な基準で説明できるものではなく、あくまでも出題者の理解や考えに合致した答えが正解とされます。つまり、感覚的というか、感情が入り込んでおり、なかにはいくら説明しても「納得できない」と首を振るお子さんもいます。勢い、常識的な判断基準を心得ている回答者が有利になりがちです。「本は好きだけど、国語のテストは苦手」というお子さんがいるのはそのためかもしれません。

 国語の試験について、数学者の藤原正彦氏は次のようなことを述べておられます。

 (前 略)生徒の国語能力をいかにして正確に測るかは、現場の先生方の直面する大問題であろう。言語的側面に関しては、どんな方法でもかなり精確な能力判定が可能であろうが、人間の情操面を、試験でどのように測ったらよいかは難問である。従来の試験問題がそのためのよい物差しであったかどうか、私は大いなる疑問を持っている。

 従来の方法とは主に、文章や詩を読ませてその要旨を何らかの形で述べさせるというタイプのものであるが、これは、敗者の繰り言ではないが、優れた方法ではないと思う。この方法では通常、(中 略)出題者と自分の見解がうまく一致した場合のみ正しく、他の個性的な解答はすべて減点である。これでは生徒のもつ多様な個性を否定し、画一的発想を強要することになりかねない。

 そもそも、出題者が本当に正しい答を持っているかが怪しいうえ、はたして正答なるものがいったい存在するのかどうかさえ確かではない。文章や詩の解釈は、読む者によって異なってもしかたないし、むしろ異なるのが普通である。法律のように、使われる言葉の定義がかなり明確にしてあっても、裁判では文章の解釈に大きな違いが起きてしばしば問題となる。詩や小説においてはなおさらで、鑑賞のしかたが一意的でないところが、文学の深さ、面白さなのだろうとさえ思える。

 藤原正彦氏の両親は作家です(父親は新田次郎、母親は藤原てい)。氏自身は数学者になられましたが、育った家庭環境の影響もあるのでしょうか。優れた著作を多数残されています。上記の文も著作の一部ですが、別の箇所で著作への読者からの反応や感想が実に様々であることを述べておられました。書いた本人も気づかないような受け止めかたや理解があることに気づき、驚かされたそうです。

 そういえば、かつて入試問題の分析をする国語担当者の会議で、正解がどれかについて担当者間で対立が生じたことがありました。そのとき、どうしても考えを譲らない相手に対して、「これはあなたの感性の問題です!」と語気を荒げた人がいました。まさにどう感じ取るかの違いですから結論に至らず、座が重苦しい雰囲気に包まれたことを思い出します。

 以上のような事情に鑑みると、「国語は、70~80点取れればよいとすべき科目だ」と言えるでしょう。その代わり、「国語を苦手なままにすると、入試合格は覚束なくなる」とも言えるでしょう。入試まで時間があまり残されていない6年生のお子さんはともかく、それよりも下の学年のお子さんに関しては、文章を読むこと、本を読むことに慣れ親しむことを励行してほしいですね。苦手になったことを悔やんでも後悔先に立たず。しかし、「国語は嫌いだ」とか「本を読むのはイヤだ」という状況に至ってしまうと、国語の入試対策はお手上げになりかねません。まずは「苦手だけど、嫌いじゃない」というところで食い止め、そこから巻き返してほしいですね。

 さて、次は対策について少し思ったことを書いてみます。いろいろと考察してみると、どうやら文章の解釈が人によって異なるのは当然のことのようです。このことに鑑みるなら、テストで出題された心理解釈の問い(例:選択肢の問題)に誤答したお子さんに、「どうして間違ったの?」と問い詰めるのは賢明な方法ではありません。また、答えをただ教えるだけでは、まったく同じ問題が出ない限り何の手助けにもなりません。

  それよりも、お子さんの国語力(読解力)を高めるうえで効果があるのは、文中の表現をもとに考えるプロセスを経験させ、その面白さに気づかせることではないでしょうか。たとえばア~エの選択肢問題の場合、どのように考えて正解のアではなく、イを選んだのかをお子さんに説明させ、「なるほど、あなたはそういうふうに受け取ったんだね」と返してやりながら、そのやりとりを通して、登場人物の言動やしぐさ、情景の描写などをもとに心情を推察する練習を手伝ってあげるのもよいかもしれません。

 推理小説のみならず、読書の楽しさは次の展開を予測し推理するところにあります。答えはイではなく、アになることの理由を文章中の表現を頼りに推測していく体験を、遊び感覚でも構いませんから、保護者のサポートでやっているうちに、「答えを導き出すためのヒントは、文章中の表現のなかにあるのだ」ということに段々とお子さんは気づくことでしょう。

 それをきっかけにして、「もっと別の文章(物語)を読んでみたい!」と、いろいろな本に手を伸ばすようになるかもしれませんね。こうして、描写と人物の心情の関係をつなぎ合わせながら読む姿勢が生まれれば、男子に多い「人物の気持ちを考えるのは苦手」という意識は随分と薄まるのではないでしょうか。正解と自分の選んだ答えとが違っていても、「そういうこともある。それが国語の面白さだ」と受け入れられるようになることでしょう。

 このような勉強の繰り返しを通じて、しだいに読み取りの能力を高めていき、最終的に6~7割ぐらいの正解を平均して得られるようになれば十分でしょう。80点以上をしばしばとれるようなら素晴らしいです。国語が苦手なお子さんは、とりあえず他の受験生と差をつけられなければよいのだというくらいに考え、まずは読み取りのコツをつかむこと、そしていろいろな文章に接することを好きになることをめざせばよいのです。そうすれば、得意な科目で勝負できる態勢が整っていきます。

※上記引用文は、「数学者の言葉では」藤原正彦/著  新潮文庫 によります。

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