2022年がもうすぐ終わります
水曜日, 12月 28th, 2022
冬休みの講座が始まりました。筆者は袋町にある本部事務局までバス通勤をしていますが、今日(12月27日)もいつものように広島市北部から八丁堀方面行のバスに乗っていると、三篠校の近くのバス停で5~6人の小学生が下りていきました。歩道にもかなりの数の小学生がいて、みな一様に同じ方向に向かって歩いていました。おそらく三篠校の冬休み講座を受講する子どもたちでしょう。寒さのせいかもしれませんが、以前なら普通に見られた笑顔で会話を交わしながらの通学風景とは少し異なり、子どもたちは黙々とうつむき加減でバラバラに塾をめざして歩いているように見えました。コロナ禍故のことなのかと思ってしまいました。早くこの状態から子どもたちを解放してあげたいものです。
さて、いつの間にか2022年も終わろうとしています。相変わらずコロナの感染問題は解消する見通しが立っていません。もうすぐ3年が経とうとしています。この間、学校の授業がしばらく中断したり、コロナ対策に多大な労力やエネルギーを投入したりすることとなりました。当然、授業で消化すべきカリキュラムもコロナ前よりも滞ります。学校は、子ども同士の活発なコミュニケーションの場としての機能も果たしていましたが、コロナ禍にあってはそれも難しくなっています。こうした状態が何年も続くと、児童期の学力形成や心身の発達に必要不可欠な環境が損なわれたなかで、子どもたちはなし崩し的に年を重ねていくことになるでしょう。それによる弊害はないのでしょうか。
少しばかり扇情的なニュアンスを感じますが、「コロナ過が続くと教育格差が拡大する」という懸念がマスメディアから報じられています。コロナ禍で失われているものは何かを知り、必要な対策を講じることのできる家庭の子どもと、それを考慮しない家庭、あるいはどんな対策をしてよいかわからない家庭の子どもの学力差が開いていくのではないかというわけです。
おそらく、学校は授業で賄えなくなっている勉強を補填するため、以前よりも宿題を多く出しておられるのではないかと思います。しかしながら、子どもがそれをやりこなすには、保護者の協力やサポートが必要となります。
この記事をお読みになっている保護者にとってはさしたる問題ではないかもしれませんが、そういうことに無関心な家庭の子どもはハンディを被る恐れもあるでしょう。そう考えると、前述の「教育格差の拡大」は、荒唐無稽と一笑に付すわけにはいかない問題のように思えてきます。
また学校や学習塾は、単に学習指導を行うだけでなく、集団のなかで子どもが刺激を互いに与えあうことで、新奇の事柄に興味をもったり、知ること学ぶことに対する意欲を高めたりする効果をもたらしています。そういった交流の場としての機能が弱まると、その影響を受けやすい家庭の子どもとそうでない家庭の子どもとでは、学びの姿勢や集団適応性、コミュニケーション能力も違ってくるのではないでしょうか。無論、コロナ禍の世の中になる以前から、そういった視点に基づく家庭教育と学校教育の連携が必要であることは、様々な教育関係者が指摘しておられます。そのことを今一度念頭に置くなら、「今、親としてわが子に何をしてやれるか」を考えてみることも必要でしょう。
それを考えるきっかけとして、おとうさんおかあさんには、これまで以上に家庭内の親子の会話を大切にしていただきたいですね。日常の何気ない話題がきっかけとなり、子どもの成長ぶりに驚くかもしれません。今わが子が何をしているのか、何に興味をもっているのか、あるいは近未来に描いている夢があるのかどうか、いろいろなことがわかると親子の親密度も増そうというものです。
先日、弊社のある校舎に所用で出向いたとき、たまたま筆者の知っているお子さんのことが話題になりました。指導を担当している者が、「あの子はおもしろいですね。『うちのおとうさんは、威張っているわりに、算数もろくにできないんだよ』と笑っていましたよ」と報告してくれました。「どんな問題をやっているんだい? まあ、おとうさんには簡単だろうな」と、息子さんのテキストの問題に手をつけてみたものの意外に難しく、悪戦苦闘しておられるおとうさんの様子が目に浮かんできました。男の子がそのエピソードを笑顔で語っていることからも、よい親子関係が想像できますね。5年生の今の段階で、親を頼りに勉強する段階を卒業し、自ら学ぶ一人前の中学受験生に成長している様子が目に浮かぶようでした。「優秀な成績をあげているのも当然だ」と納得したしだいです。
親子で、すぐに解決できない問題について話し合うことの楽しさについて、数学者で作家の藤原正彦氏の著書に、こんなエピソードが紹介されていました。
三人の息子たちが小学校や幼稚園にいた頃、我が家には発見ノートというものがあった。子供たちが生活の中で何か新しいことに気付くと、まず私に報告する。私はやや大げさに褒めあげ、ついでに「発見」の斬新さに応じて、「大発見」「中発見」「小発見」と皆に聞こえるような大声で査定し、表彰する。それを発見者がノートに記録するのである。
(中略)「ガソリンスタンドはたいてい道路の角にあるよ」「なーるほど、それは面白い。ショーハッケーン」という具合である。発見の仕方は三者三様で、じっと辺りを観察する長男、手当たり次第に物をつかんで実験する次男、予測してから実験する三男と分かれていた。
私も時折「発見」をした。そんな時は公平のため、息子たちが等級を判定することになっていた。息子たちと風呂につかっているとき時のことだった。「パパは今、一つ発見をしたよ」「ナーニ」「湯船の中のおならは臭い」
息子たちは「ナーンダそんなの」とあきれたように5秒ほど笑っていたが、突然表情を堅くして唇をしっかり閉ざすと、ウメキ声とともに風呂から飛び出した。「風呂の中では、ガスがアブクの中に閉じ込められ、拡散しないまま鼻元で炸裂するからだ」とガラス戸越しに大声で科学教育をしたが、聞いてもらえなかった。
この「発見ノート」というアイデアは、なかなか面白そうですね。子どもの知的好奇心を刺激し、新たな知見を得ることの楽しさやワクワク感を体験させる。そんなしかけをご家庭でいろいろと考えてみてはいかがでしょうか。おそらく、親からの提案でそういったやりとりを楽しむことができるのは、あともうしばらくのことでしょう。また、そういった働きかけを子どもが受け入れるのもおそらく児童期までのことでしょう。そんな「今」を、大いに生かしていただきたいですね。
家庭が良好なコミュニケーションの場で、子どもの知的興味を刺激する場であれば、コロナ禍での子どもの知的成長に関する不安も随分解消できます。また、コミュニケーション能力の形成という点からも、家庭内会話が随分と支えになるでしょう。不幸な時期に中学受験生になった子どもたちですが、親の愛情や工夫があればこの苦難多き時代を乗り越え、立派に成長していけることでしょう。
よい年をお迎えください。
※上記引用部分は「祖国とは国語」藤原正彦/著(新潮文庫 2006)によります。