‟人間性善説”に立つ中学受験指導へのこだわり
2025 年 2 月 21 日
中学入試シーズンが終わり、各中学校の定数調整のための補欠繰り上がり発表なども収束しています。弊社も今年度の中学入試合格状況を公表しておりますが、本ブログで毎年公表している合格会員の進路選択状況についてはまだ確認終了に至っていません。もうすぐお知らせできると思いますのでご了承ください。
さて、今回はいつもとは少し毛色の変わったテーマに基づいて書いてみようと思います。みなさんは、性善説と性悪説という言葉をよくご存知のことと思います。性善説は孟子(もうし)、性悪説は荀(じゅんし)が唱えたものと言われています。前者は人間の本性を善人とみなし、後者は悪人とみなしていると一般に言われていますが、どちらの説も根底に教育の必要性を説いているのだという点では同じです。
この二つの説を子どもの受験指導に当てはめて考えてみたのが今回の記事です。「子どもは放っておくと怠けてしまい、ちゃんとやるべき勉強をやらないから厳しく管理し、無理やりにでもやらせないと受験での合格は覚束ない」という考えに基づく学習指導は‟性悪説”に近いものと言えるでしょう。いっぽう、「子どもは例外なく知識欲や向上心を携えている。それを上手に引き出せば、大人が無理強いしなくても自分でやるべき勉強に取り組んで、進学の希望を叶えることができる」という考えに立って学習指導を行ったとしたら、それは性善説に近いものだと言えるでしょう。
どちらの考えにも一理あり、筆者自身も若い頃には二つの考えの間を揺れていた時期があります(ただし、弊社の学習指導の理念は明らかに‟性善説”に立ったものです)。確かに、子どもは大人の環境設定や接しかた、指導の方法の如何によって、怠惰な勉強に陥ってほとんど無為な毎日を過ごすようになるおそれもありますし、逆にやるべき勉強を自ら心得て素晴らしい取り組みをしたりするようになる可能性もあります。いずれにしても人生経験に乏しい小学生であるゆえ、大人の手助けなしに受験生活を乗り切るケースは稀です。今回の記事のタイトルは、中学受験の難しさの一つはここにあると思って思いついたものです。
小学生という年齢期の子どもは何をするにも心もとないものです。その代わり、大人の保護下になければ生きていけない未熟な状態にありますから、多少の抵抗はしても結局は大人の言うことを聞きます。受験勉強においても例外ではありません。そこで保護者も学習塾の指導担当者も「やらせる」「取り組ませる」というスタイルの関わりを意識的にも無意識的にもとりがちです。ただし、どなたも「子どもが自分から勉強に取り組むよう導くのと、子どもに指示や命令を下して勉強に取り組ませるのとでは、どちらが望ましいですか?」と問われたなら、「そんなことはわかっている」とおっしゃるでしょう。自分から取り組むのがいいに決まっています。そのように導くのが難しく、多大なエネルギーを費やすことになるから、つい手っ取り早いほう、確実にテスト成果が見通せるほうを選択することになりがちなのでしょう。
つぎに別の観点から、どちらの説に基づく指導がよいのかを考えてみましょう。今や人工知能のAI時代だと言われています。AIは人手を大幅に省力化します。そんな現代社会において創造的かつ豊かな人生を送れるのは、AIのできない仕事ができる人、AIを使いこなせる人だと言われます。AIが苦手とするのはきわめて創造性の高い分野、データが活かせない、そもそもデータがない分野の仕事でしょう。このような条件下で活躍できる人間はどうやって育つのかを考えれば、性善説と性悪説のうち、どちらの考えに立った学習指導が望ましいかは明らかでしょう。勉強のよさや重要性をよく理解し、自分の取り組むべき勉強を自らの判断に基づいて取り組んだ人間のほうが創造性豊かな頭脳の持ち主になれるし、少しでも可能性を見出したなら成功するまで粘り強く物事に取り組むこともできるでしょう。
家庭学習研究社を創設した坪内茂美(故人)が、小学生の受験指導の面白さにのめり込み、現在のような指導方針、指導システムを考案した理由は、性善説に立った学習指導の優れた可能性に着目したからだと思います。子どもというものは、大人の指導の仕方ひとつで驚くほど変わり、成長していくことを実感したのです。筆者は大学で教育心理学、教育学、教育社会学を修めましたが、昭和60年に入社(広報の仕事を任されることが入社の動機でした)してから家庭学習研究社の学習指導を丹念に調べていくと、子ども自身が主体となった受験対策で合格を得るためのしくみがよく考えられていことに驚きました。あとで聞いたことですが、学習塾の立ち上げにあたって、当時教育者として高いレベルにあったかたから熱心なアドバイスをいただいて指導の方針や方法、システム等を練りあげたそうです。
このことをご説明すると長くなるので割愛しますが、ごく簡単に言うと「考えること、自分で解き明かすことの面白さを子どもたちが体感できる授業を実践すること」「家庭での一人勉強を可能にするテキスト・カリキュラムを作製すること」「小学生が無理なく取り組める学習難易度の設定(地元の最難関校に合格できるギリギリのラインを狙う)」「学習の計画性、習慣づけ、行動の自己管理面を考慮した家庭学習の応援システムの練りあげ」などです。ただし、このような要素を盛り込んだ受験対策は、家庭勉強の比重を必然的に重くします。すなわち、保護者のサポートや応援が欠かせません。当然、塾の方針や指導システムの意図をよくご理解いただく必要もあります。ただし、難しく考えるのではなく、「何事においても子どもの自立を尊重する」という考えに立って粘り強く応援すればよいのだとお考えください。はじめは苦労されるかもしれませんが、いったん勉強姿勢が浸透したなら後がずいぶん楽になります。特に、受験勉強が佳境に入る6年生の秋以降になると、保護者の負担は随分軽減されていきます。そうなると、受験の結果も、さらに先も非常に楽しみになってきます。まさに、この段階に至るプロセスはしつけ・子育ての仕上げとリンクしています。
長い間受験生と保護者を見守ってきましたが、今ものような上記のような指導方針は貫くべきだと思っています。むしろ、今日のような時代にこそ、一人でも多くの創造的頭脳の持ち主を育成すべきだと考えるからです。合格最優先なら、他によい方法があることでしょう。しかし、どのような受験結果になったとしても、そこから自分で這い上がっていけるのは、性善説に立った学習指導のもとで成長した人間だと確信しています。もしも子どもの自立という観点に立ってご家庭でお子さんの受験生活を見守り応援していただけるなら、ぜひ家庭学習研究社に入会していただきたいですね。絶対に後悔はされないでしょう。それは、立派に成長していった多数の子どもたちを見届けてきた筆者自身の経験から自信をもって言えることです。
今回の記事は、思いつきに基づいて2時間足らずで書きあげたため、文章が整っていなかったり、不適切と感じられる表現があったりするかもしれません。事情に免じてご容赦の程お願いいたします。