トップページ > 読書案内 >
5年生の今月の本 > 5年生におすすめの本
> 理科室から生まれたノーベル賞
~田中耕一ものがたり
タイトル | 理科室から生まれたノーベル賞 ~田中耕一ものがたり |
|
---|---|---|
著者 | 国松 俊英 | |
出版社 | 岩崎書店 | |
|
||
2002年12月10日。スウェーデン・ストックホルムのコンサートホールでノーベル賞の授賞(じゅしょう)式がおこなわれました。あかるい舞台(ぶたい)にもうけられた受賞者席には、栄(は)えある賞にえらばれた世界の科学者たちがならんでいます。そのなかに、化学賞をうける田中耕一の緊張(きんちょう)した顔がありました。 日本人で12人めのノーベル賞受賞者となった田中耕一は、受賞のときは43歳。京都市にある会社、島津製作所のエンジニアでした。 人間の体は、たんぱく質という部品からなりたっています。このたんぱく質のはたらきが、さまざまな生命の現象(げんしょう)になっているので、たんぱく質を分析(ぶんせき)することは、病気の診断(しんだん)や、それをなおす薬をつくりだすために欠(か)かせません。これまで、たんぱく質をくわしく分析するのは、とてもむずかしくてできませんでしたが、耕一のチームは、レーザーをつかってたんぱく質を分析する方法を開発しました。これがノーベル賞の対象になったのです。 島津製作所に入社する前、会社を見学した耕一は、そのころ開発研究していた医療(いりょう)機器が人間の命をすくうのにやくだつと聞き、目をかがやかせました。それからちょっといいにくそうにしながら話しだしました。 「……じつは、わたしの母は、わたしをうんですぐになくなったんです。それでわたしは、ずっと養母にそだてられました。母のように病気でくるしむ人をたすけ、人の命をすくう仕事ができれば、とてもうれしいです」 耕一は、母へのおもいをしっかり胸にだいて、エンジニアとして出発したのです。 【 田中耕一さんはどんな小学生だったのでしょう? この本でくわしくしょうかいされています。また、昨年ノーベル賞を受賞した先生方のことも合わせて調べてみましょう。】 |