息子がお世話になりましたのは4年生の夏期講座からです。小学校のクラスメイトに誘われたようでしたが、従兄姉達の中学受験や進学の影響もあったのでしょう、本人の希望を聞き入れ、電車で通わせることにしました。三年程続けていた公文式を辞めてしまって一年余り、ソフトボールと外遊びに明け暮れていましたから半信半疑でしたが、ちょっとした冒険心も満たされていたのでしょうか、毎回楽しそうに出かけておりました。
テストの結果は平均辺りで、成績優秀者にリストアップされた友達を確認しても悔しがるでもなく、同級生の優秀さを私たちに自慢する始末。塾でのニックネームも「スマイルS」とか。たまに駅へ送って行った時など、重い教材をリュックに背負った息子の後ろ姿に、多少の後ろめたさを感じていた私は、せめて楽しければと話を聞いておりました。
それでも五年生になると、時々自分の名前も見つけるようになりました。そうして、自分の名前が載れば喜び、なければ落胆といった一喜一憂の日々が続きます。
六年生になって間もない頃、前週のマナビーテストの結果発表を未確認のままの息子が、家庭学習研究社から帰るなり母親に報告したのです。同じクラスの「I君」が、息子の成績が良かった事を告げ、いっしょに喜んでくれたと…。そして「I君」は「次は負けんよ。」と言ったそうです。息子は「僕はI君とライバルになれた。」と満面の笑顔で喜んだそうです。優秀な友人達が大好きで、彼らと同じ学校へ行きたいという思いがモチベーションになっていたのです。だから、その友人の一人が自分をライバルと認めてくれた事がうれしかったのです。
その頃から成績も安定し始めました。夏休みもソフトボールチームのキャプテンとして試合にも出場しましたし、一週間の野外キャンプにも参加しました。楽しいプランを励みに勉強も集中して頑張っていたようで、休み明けのテストは自身最高の結果でした。
しかし、秋口からスランプに陥ります。教わる内容やテストもぐっと難しくなっていたようですが、自分で納得できる点が得られず、時には随分落ち込んでいました。いつも息子に近い立場で見守る母親の表情も厳しくなったと思いきや、突然穏やかな笑顔…と息子も「?」。気が付くと、担任のT先生から息子への激励の手紙が机の前に貼ってありました。本人には内緒で母親が相談にうかがい、先生がアドバイスの手紙を息子に手渡してくださったのでした。安堵した母親の笑顔は息子の精神安定にはてきめんで、親子共々救われました。
苦手な算数の問題を数多く当たる事と、理科・社会をコツコツと押さえていく事で、年末から年明けにかけて自信をつけてきたようでした。そして初詣の絵馬に書いたとおり、目標の三校に合格。スランプを乗り越えたことが自信につながり、落ち着いて本番に臨めたのでしょう。友人達を目標に、先生の言葉を頼りに自分の意志で頑張ってきた息子をうれしく思います。
春には、本人が択んだ学校へ入学です。呉校のたくさんの皆さんとも、御一緒できるようです。これまでより一回り大きく豊かな環境で、何を感じ、どう考え、どんな目標を持つのか楽しみに見守りたいと思います。