娘の両親、つまり私たち夫婦は偶然にも家庭学習研究社にお世話になっていた。母である私はいわゆる成績優秀者に名を連ねていたが、受験週間に体調を崩し軒並み不合格、最後に受験した広大附属東雲に何とか合格した。夫は自力で受験を志していたが、六年の夏期講習から通塾を始め、ほどほどの成績で修道のみ受験し合格した。
そんな「変り種」を親に持つ娘には、自分たちの経験を生かし「普通」に受験生活を送ってほしいと願った。
ところが、私たちの家庭が描いた計画は必ずしも「普通」とは言えなかった。娘は四年の冬期講習から通塾を始めた。共働きの家庭のため、五年前期から六年前期まで土曜コースに通い、六年後期から週三日コースに変わり追い込み体制に入ろうと考えた。土曜コースは私たちのニーズに合っていた。未だに週一回(ステップアップ講座を含む)コースが設けられていることに感心する。土曜コースは、家庭でも週三日コースの子供と同等の学習ができるよう十分工夫されていた。家庭で学習しやすいようスケジュール表を下さり、週一回は質の高い授業が受けられたので、大変充実していた。さらに母娘間で「連絡帳」を作り、私が仕事で不在の間に学習することを具体的に記し、娘はそれを見ながら学習を進めた。帰宅後、就寝まで二人でテキストを見ながら学習した。
娘は、日中は祖父母の家で自由に過ごし、五歳年下の妹と遊ぶのが何よりの楽しみだった。親はヤキモキしたが、のらりくらりと学習を進めながらも成績はまずまず安定していた。そして、六年夏期講習から本格的な通塾が始まった。これで安心! あとは塾にお任せしようと目論んだが、そうは問屋が卸さなかった。今まで良くも悪くも「母娘鷹」でやってきたため、娘としては急に見放された気がしたようだ。週三日のペースにも慣れず、秋頃成績は下降した。びっくりするような悪い点を取り、何度か担任のM先生に相談した。後から振り返ればスランプだったとわかるのだが、当時は悩んだ。そこで、先生の授業を受けつつこれまでのスタイルも残し、ポイントを絞ってじっくり母娘で復習することにした。独り立ちしてほしいと願いながら。
成績が再び落ち着いて来た頃、娘は理科のY先生からメッセージカードをいただいた。「もっと本気を出してみよう まだまだできるはず」
見抜かれている。私は拍手した。そのとおり! もっとがんばってよ! 正月頃も受動的な態度は変わらなかったが、家庭学習研究社のカリキュラムは本当にうまくできており、入試前には「やるだけのことはやった」という気持ちにさせてくれた。
そして迎えた広大附属の試験日。娘としては力を尽くしたという手応えがあったようだ。しかし、合格発表の日に番号はない。ショックを受けたところで、翌日、追加合格候補者通知が来た。あと一歩のところまで行っていたことがわかり、残りの学校も自信を持って受験することができた。
また、悔しい思いをした娘の心にやっと火が付き、その日から目の色が変わった。自ら机に向かい、自らページを開いた。最後に受験した清心まで、娘は気を抜かず学習に励んだ。ついに、ついに見た娘の本気であった。残念ながら附属は不合格であったが、母が高校から通った清心に通うことになった。塾からのアドバイスを参考に、入試直前は早寝早起きを心がけ、体調を崩すことなく受験することができた。娘には、今回の結果におごることなく人間的にも大きく成長してほしい。
最後に、もし今回実力を出し切れなかった方がいらっしゃるとしたら、後からいくらでも取り返せることを申し添えたい。これは私自身の経験である。家庭学習研究社で学んだことは絶対に無駄にはならない。