三年前に上の娘が家庭学習研究社から広島なぎさ中学校の合格切符を手にし、下の娘も姉の背中を追いかけ、同じ学校へ通って欲しいという親の願いから、姉と入れ替わりで四年部からお世話になることにしました。
親としては姉が中学受験をしたので、下の娘も中学受験は当たり前だと思っていましたが、本人はそうでもなかったようです。 通い始めの四年部。算数・国語の二教科のみだったので、家庭での学習も遅いなりになんとかこなし、成績もまずまずでした。しかし、五年部になると社会・理科が増えて四教科となり、日頃からマイペースな娘は、行動の遅さが障壁となって思うように進まなくなりました。勉強が追いつかなければ、当然成績は芳しくなく、徐々に下がっていきました。
これではいけないと、娘とあれこれ娘のペースに合う勉強方法を模索しましたが、なかなか結果は出ませんでした。
そして徐々に疲れとストレスが溜まり、娘は精神的にきつくなってきたのだと思います。この頃から、「受験向いてない。もう受験やめる。楽になりたい。」 と頻繁に口にするようになりました。
それでも親として、(合格すればこの苦難もいつか笑いに変わる。)と信じ、心痛めながら娘を叱り、再度受験勉強に向かわせました。
六年部になると、少しずつ娘の気持ちに変化が現れ、「お姉ちゃんと同じ学校へ絶対に行きたい。」 と言うようになりました。
しかし勉強のペースは相変わらずで、成績は上がったり下がったりの繰り返しでした。模試の結果もいつも有望圏に入らず、徐々に娘は自信を喪失していきました。流石に六年部後期での成績の低迷を見ると、親としても諦めるべきかと思いました。しかし、(諦めるのは容易いこと。子供と最後の最後まで一緒に戦い、支えられるのは親しかいない。親が先に逃げ出すわけにはいかない。)と思い、もう一度はちまきを締め直しました。
その後は娘と二人三脚。「絶対合格。一緒に最後までがんばろう。」 と言い続け、娘のモチベーションを常に上げるようにしました。 そして勉強においては、苦手意識のない国語・理科・社会は、補助教材を入試直前までに二~三回やり、どうでしても手の伸びない算数だけは、苦手な単元をノートに抜き出して解かせました。
娘は一度苦手意識を感じてしまうとなかなか前へ進まず、補助教材の冊子が薄くても時間ばかりかかって終わらない状態でしたが、ノートで三~四ページに限定してしまうと視覚効果で意外とすんなり進みました。この時期は、とにかく基礎固めをしました。
今まで反発していた娘が本当の意味で本気モードになったのは本番まで一ヶ月にも満たない時期で、周りの受験生からはかなり遅れをとっていましたが、この短期間に本当によく頑張ったと思います。
そしてその努力が実り、第一志望校へ見事 『合格』
娘は自分の受験番号を見つけた時、これまでの色んな思いが巡ったのか、涙を浮かべて喜んでいました。そしてその顔は、長い暗闇から抜けでたような、とても晴れやかな面持ちでした。
これで、我が家の六年間の長い受験生活は終了です。算数泣かせの娘を最後の最後まで温かく見守り支えてくださった先生方、本当にありがとうございました。