「イーニクオイシイ、1290番……無い……。」
附属の合格発表の日、学校がある息子の代わりに合否を見に来た私は、あちこちで沸き上がる拍手や歓声の中、自分の立っている石畳だけが酷く冷たく感じられた。
息子は帰るなり私に尋ねるだろう。当然の権利として。いや、帰宅途中に携帯にかけてくるかもしれない。なんて言おう?
「あなたは精一杯頑張ったけど、運が悪かった。仕方ない。」
「六年生から始めたのだから、ダメであたり前、気にしなさんな。」
「落ちた人が山ほどいるのだから、大丈夫。」
どれもこれも調合の悪いシャボン玉液で子供が吹いた玉のように、作り出されては飛ばずに消えてゆく慰めの言葉。そのうち、赤信号で停車すると同時に、私の思考もストップしてしまった。
息子と私が家庭学習研究社を訪れたのは、ちょうど一年前。六年部からの遅いスタートである。
その時手渡されたのが昨年のGETである。表紙には、我が子と同じ位のまだあどけない顔、顔、顔。しかし、どの子の笑顔にも、何か大きな山をやっと越えた達成感に溢れている。思わずページをめくり、「はじめに」を読んだ。そこには、これから息子が今まで生きてきた十二年間の節目のその‶節”に、大きく風穴を開けるほど影響を与えて下さる先生のお言葉が書かれてありました。優しくも力強く、子供一人一人の尊厳を護りつつ、その琴線に触れる言霊。
「はじめに」だけを読んだ後、もう一度表紙に戻り、子ども達の弾けんばかりの笑顔に大得心した。
帰宅後、GETを一気に読破した時には、その軽い冊子から熱気と情熱、汗、涙が手に伝わり、毛細血管から大静脈、そして私の心臓の心拍数を上げた。
その日から、息子と私の本格的な受験生活が始まった。
GETが台本なら、息子は正に主演俳優。
「あー、GETのあのシーンだ。」
「そうそう、GETに書かれていたな。」
と思う出来事度々。
学校へは登校拒否寸前だったのに、塾では魅力溢れる先生方とお友達に恵まれ、「楽しい」「楽しい」と、絶対に休むと言わず、少しでも早く行きたがった。
自分の体重と同じ位ありそうな大きくて重いリュックを背負い、「腰が痛い」「足が痛い」と言いつつも通い続けた息子。
休日は図書館の開館時刻に並んで席取り、閉館までいて館長さんに声をかけて頂いたりもした。
祝日は図書館も休館日なのでフェリーターミナルへ。勉強の休憩時間に、展望デッキから眺める港の夜景に癒される、等と一丁前な発言に苦笑したり。
追い込み時期に入り、夜中、水で顔を洗っても眠気がとれないと言うので、氷水に顔を浸けることを提案。素直に実行し、悲鳴を上げる息子。夜中の十二時に十二才の子供が眠いのは当たり前である。
目前に海が広がる我が家に住んでいながら、釣りや海水浴に遊びまくる妹弟を横目に、一人黙々と机に向かう姿は逞しくさえ見えた。
そうだ。彼がやって来た事は決して無駄ではなく、血となり肉となり、今後の人生で必ず息子の支えとなるはずである。
家庭学習研究社との出会いも、良き縁であったと思う。個人に合わせたメニューで叱咤激励して下さった先生、そして生涯の友になるかもしれない友人にも巡り会ったのではないだろうか?
そこに思い至った時、信号が青に変わった。私はゆっくりアクセルを踏みながら、GETを書こう!と思った。
「息子の信号も青」とつぶやきながら。