三年生 二月
我が家みたいな共働きに中学受験なんて出来るのだろうか。 親の不安とは裏腹に、楽しい楽しいと重たいリュックを背負い好きな本を片手に一人バスで通いだしたあの頃。 幼かった息子の顔や声を思い出します。
自分で通塾することで、市内の交通網や町、川や橋の名前、社会的ルールなども解るようになり精神的成長が著しくありました。 チンプンカンプンの解答を出していた国語が何故か大好きになったのもこの時期でした。 仕事から戻り、慌ただしく夕飯を作りながら
「塾の宿題やった? 学校の宿題は? プリントだしてよ! 字が汚い! 鉛筆削り!」
「宿題やったよ。ほら見て」
当時、下の子が一歳になったばかりだったのもあり、家での学習をみてやることがなかなかできずノートをチラリと見るので精一杯の毎日でした。
四年生 二月
突然の大病を経験しました。 やっとのことで治療を終えた息子は副作用で頭髪は抜け落ち、顔は浮腫み明らかに別人でした。 今は勉強なんて必要ない。生きているだけでいい。まずは身体を休めてほしい。塾は辞めさせよう……と考えていた時、
「こんな姿で学校には行くのは怖いから行きたくない。でも、塾なら行ける。母さん、塾だけ行くのはダメ??」
息子がこんなにも塾のみんなを信頼している事を初めて知りました。 入院中は休塾扱いにもかかわらず、マナビーテストを毎回送ってきてくださったこと。 入院前と同じクラスで再スタートさせて下さったこと。 息子に誰一人として「どしたん? 何で休んでたん?」と聞かず、何も無かったように接してくれた塾の仲間の優しさ。 本当に有り難うございました。
そしていつからか
「俺はみんなと一緒の学校に行きたい」
この言葉をよく言うようになりました。
六年生 五月
宿題もやっている(らしい)。なのに、何故かマナビーテストに結果が出ない事に悩み面談を申し込みました。 順位が下がるにはちゃんと理由があるもので、校舎長の先生から、 宿題の一部をやらない。幾度となく促したがやっぱりやらない……という旨が直ちに判明。 同時に、私の知らない塾での息子の様子を沢山聞かせて頂くことが出来ました。 全ては、私が宿題を把握していないことで、宿題を全てしなくても母には解らない。 それでも何となくマナビーテストで順位が取れるテスト慣れと中弛みからでした。 そういえば、マナビーテストの直しは放置。机の上はプリントまみれ。字が汚すぎる。
「今すぐ塾辞めろ! うちにそんな余裕はない! 受験なんてやめてしまえ! こんなんで合格する程甘ないわ!!!」
何度、この言葉を発したでしょう。
「嫌だ! 俺はみんなと一緒の学校に行きたい!」
息子の頑張る力は結局、いつもここから出ていたように思います。
合格を頂いた日
人生は自分の頑張り次第で切り開くことが可能であること。 空がこんなにも綺麗だと思える日があることを息子と共に体感することができました。 あんなに幼かった息子は既に私の身長を越していました。
この三年間で培った、家での長時間にわたる勉強の習慣と集中力。 先生方からの、その時々の息子への適格なアドバイス。 勉強が楽しい。解る事が楽しい!ということを息子に教えてくださったこと。 そして、何よりも塾での仲間たち。 家族だけではここまで来ることは出来なかったと思います。 感謝しかありません。本当にお世話になりました。有り難うございました。