「やっぱり県立受験してみたい。塾に通いたい。」
娘が五年生の二月のことでした。それからすぐに、その時期でも受け入れてくれ、適性検査対策講座もある家庭学習研究社の門を叩き、娘の受検(験)への挑戦が始まりました。 四、五年部の授業を受けていない娘は、当然のことながら当初かなり苦労した様子でした。分からないことが多すぎて、全問質問するのは無理。塾からは「親御さんは教えなくていいです」と言われていましたが、夫も私も一緒に問題を解いたり調べたりしながら、なんとか予習をこなしていました。
厳選した質問は(当時コロナ禍でオンライン授業だった為)塾に電話すると、いつも丁寧に教えてくださったようです。家庭学習の進め方など、「何が分からないかもよく分からない」状態だった私の相談にも優しくのってくださいました。
家で予習し、早めに塾に行き質問する。授業を受け、最後まで残って質問する。その生活を繰り返すうち、きっと授業が分かりやすかったのだと思いますが、最初は二百番台だったマナビーテストの順位がすぐに上を向いてきました。
そうすると、「六年生からの受験勉強ではとても無理だろう」と考えていた私立校の受験を視野に入れるようになりました。オープンスクールに参加してみると、やはりどの学校にも魅力があります。結局三校チャレンジすることになりました。
一見順調にも思えた成績ですが、ずっと安定しているわけもなく、また志望校にはもう少し上げないと、という辺りを推移していました。また、黙々と一人で勉強していた娘ですが、年末近くになってできなかった問題の解き直しや補習プリント等、未消化のものが予想以上にたまっていたことが判明しました。
完全に娘まかせにしていた親の責任だと反省しました。そこからクラス担当の先生に、今やっていること・出来ていないことをリストアップして相談。やるべきことを可視化し、ホワイトボードに一日ごとの課題を書いて、終えたらチェックするようにしました。
冬期講習の頃から、娘の集中力が目に見えて増してきました。自室でタイマーをセットして過去問を解き、本番と同じだけリビングで休憩したらまた過去問を解きに自室に戻って行く。「少しは息抜きでもしたら」と声をかけるほどでした。
「どうしてそんなに頑張れるのか」と一度だけ尋ねたことがあります。その時の娘の答えは、「合格したいから」―。実にシンプルな理由でした。自分がやると決めたのだから、やる。テストの順位に落ち込み泣くことはしょっちゅうでしたが、一度も「もう嫌」「やめたい」という類の言葉を口にすることなく、泣いた後は気付けば机に向かっていました。
「皆が小四から頑張っているのに、小六からでは難しいのではないか」
「災害時などに遠くの学校へ通うのは不安ではないか」
当初から、覚悟ができていないのは母である私の方でした。家庭学習研究社の先生方に導かれ、娘はいつの間にか立派な受験生になっていたのでした。
春から志望校へ通うことになった娘は、弟も入塾を決めた広島校へ送り迎えに行き、先生方にまた会えることを楽しみにしています。
最後になりましたが広島校の先生方。本当にお世話になりました。心より感謝申し上げます。