広島の中学受験を経験していた私は、娘が産まれた時から将来は私の母校に通ってほしいと考えていました。
五年部から入塾しようと考えていましたが、ふと四年の夏に焦燥感から四年部の後期からという中途半端な時期の入塾になってしまいました。小学校では誰とでも仲良くなれるタイプの娘ですが、この中途半端な時期の入塾はハードルが高かったようで、ついに最後まで塾で友達を作ることができませんでした。このことは娘にとって非常に中学受験というものがハードな体験になってしまいました。
よく合格体験記に直前はゲームもテレビも禁止! という投稿をみかけますが、我が家は時間を決めて息抜き程度に許可していました。あまりテレビドラマを観ることはないのですが、『二月の勝者』は自分と重ねて見ることができたようで、頑張っているのは自分だけではないと励まされ、いつのまにか自分もやるぞ! と最終回を見終わった時は、目がキラキラしていました。
娘にとって、中学受験は決して順風満帆とはいかず、皆が追い込みをかける六年生の秋に怪我が相次ぎ、一時期は車椅子生活になり、六時間授業の後にリハビリに通い、塾に行くというハードな生活になりました。また、成績の方は理系の両親の遺伝子か、娘は国語と社会には苦労しました。
夏休みは社会に時間をかけたのですが成績は上がらず、秋になり、今後本番に向けて限られた時間の中での勉強の仕方に迷いが生じ、私は個人懇談を申し込みました。さすが、広島の中学受験専門塾の担任の先生は的確に娘の弱点を把握されていて、私の迷いにも全て納得のいく形で誘導してくださいました。
私は成績を上げるために市販のドリルもたくさん購入していたのですが、それが消化不良の原因になっていました。塾のテキストだけで十分です! という言葉を信じて、秋からのラストスパートは完全チェックを三部ずつコピーして本番まで繰り返し、マナビーテキストの復習に徹しました。すると社会の点数もあがり、順位も安定してきました。
しかし、本番が近くなり、ラストスパートの時期にまさかのオミクロンによる感染者激増。濃厚接触者になるだけで受験できない学校もあり、本当に感染対策に苦労しました。無事に第一志望の受験日を迎え、校舎に入って行く後ろ姿をみた時、無事によくこの日を迎えられたことに感極まり、涙が出ました。
私のエゴから始まった中学受験。いつのまにか娘は私の母校に憧れて第一志望にし、受験当日も、この学校に行きたい!と強く思ったそうです。
合格発表の日、スマホで結果を見るのは味気ない。と直接、大根坂を登り掲示板をみました。ドキドキする私に反して、娘は自信があったようでワクワクしながら坂を登っていました。無事に掲示板に番号があった時の喜びは自分の時以上に嬉しく、正面玄関で温かく迎えいれて下さった母校の先生方の祝福のことばに、やはり娘にはこの学校で六年間を過ごして欲しいと強く思いました。
目をキラキラさせながら春からの通学を楽しみに語る娘はいつのまにか頼もしくなっていました。
中学受験は12歳の娘にはハードな体験でしたが、同時にこれからの自分の人生を切り拓ける力もつけてくれたと思います。
ありがとうございました。