僕は、四年部からこの家庭学習研究社の土曜コースに通い始めました。
なぜ週三日コースにしなかったかというと、理由は簡単。ゲームをする時間を奪われたくなかったからです。
しかし、土曜コースで一番仲良しだった友達が、週三日コースに移るということを聞いたため、結局は五年部になり週三回通塾することにしました。
はじめは 「週三回も通うのか~」と、いやいやでしたが、そんな気持ちは初日に太平洋のかなたまで飛んでいきました。
それほどまでに、先生方の授業や、友達と過ごす休憩時間、そして補習の時間は楽しいものでした。 勉強量も内容も四年部の時からすると格段に増えましたが、五年生までの間についてしまったゲーム癖がなかなか治らず、そのせいで成績は落ちていくジェットコースターさながらに下降していきました。ついに五年部の後期に、僕はクラスがかわってしまいました。 「元のクラスに戻れるようがんばるぞ!」 と、その時は思いましたが、その決意は二日ともたず、気づけば補習プリントもそこそこにまた遊んでいました。
こんな僕が変わったきっかけは、ある回のマナビーテストの総合点で友達と百点以上の差が開いてしまったことです。僕がもう一教科分のテストを受けても追いつかない、という実力の差に愕然としました。「みんな勉強しているんだ」
そのことに気づいた日から、僕は今までしていたゲームをやめ、また惰性で見ていたテレビも本当に見たい番組だけにしました。 そうすると、成績ものび、もっと勉強が楽しくなっていきました。 マナビーテストで変動はありましたが、念願だった元のクラスに戻ることができ、いざ本番!
第一志望である広島学院の入試が始まりました。ほかの学校とは違い、八時にならないと教室の中に入れないので、開門までの間はグランドで先生方や友達とたくさん話をして緊張をほぐしていきました。
もちろん、いざ席につき、問題用紙が配られると、それまでリラックスしていたはずの僕の体は再びカチコチになりました。その時、手の震えをとめさせたのは、やはり「やれることはすべてやったんだ」という思いでした。
「アタックを三回やれば、大丈夫」という先輩たちの言葉を最低ノルマとし、苦手な算数は五回もやったんだから大丈夫だ、という自信です。
合格発表は翌日、学校に行っている間に行われます。 午後四時。急いで帰宅し、ネットを接続。クリックをして、つかの間の静寂が訪れたのち、「やったー」 と僕は叫んでいました。
このようにして、長いようで短かった、でもやっぱり長かった僕の受験生活は幕を閉じました。
最後に、これから受験するみなさん、受験はどれだけ努力したかが目に見えるものです。
もちろん、合格がすべてではなく、新たなスタートラインにたっただけですが、それでも自分の希望したラインに立てるのは格別です。
だから、たくさんの勉強をやり、絶対後悔をしないようにしてください。 そして、勉強の楽しさを教えてくださった三篠校の先生方、三年間本当にありがとうございました。