ぼくの志望校は、家庭学習研究社に入る前から、決まっていました。そしてぼくは、その志望校を目指してずっとがんばりました。
平成二十五年の一月、修道中学校の発表日、家族で学校まで兄の「結果」を見に行きました。兄の受験番号はありませんでした。その日は、家族で肩を落として歩きました。その時のくやしさは今でも忘れる事ができません。結局、兄は受かった学校に行き、みんなもそれでいいと思っていました。
ぼくは五年生になって家庭学習研究社の呉校に通うようになりました。そこで自分は算数がとても苦手という事を知りました。小学校ではできる方だと思っていたぼくには、大きなショックでした。じゅくには、ぼくより何倍もえらい人がいて、その人たちには、テストのたびにおどろかされていました。ぼくは、その中では一番おとっているように見えました。でも、国語は得意だったので、周りの人たちが、ぼくをただのバカなやつと見ていないようでホッとしました。
六年生になると、五年の時よりかは良い成績をとり続けました。もちろんその成績というのは、とてもいいものではありません。それでも、得意だった国語も、もっと点がとれるようになったし、理科と社会は分からないところや覚えていないところを少しずつでもなくしていきました。算数だって、一度最下位の点数をとったけれど、一生けん命がんばりました。確実に成長したと思います。
六年の冬休み。冬期講習も始まり、みんなの顔もだんだん真剣になってきました。ぼくも、なんとなくそんな空気におされて、前よりももっと勉強をしはじめました。正月も、じゅくから帰ると父さんが勉強をつきっきりで教えてくれました。入試当日まであと百日をきったというのに、勉強がつらくて、もう受験をやめたいと思ったりしました。それでも、ぼくは、行きたい学校があったし、みんなが応援してくれたから、続けることができました。
冬期講習が終わって、じゅくでのぼくたちが受ける授業が最後になる日、先生から、二つに折られた紙をもらいました。開いてみると右には模試の結果を見た時に書いた自分へのメッセージ、左には、
母からのメッセージがありました。
絶対に泣かないと思っていたのにそれを読むとみんながいるところでなみだをこぼしそうになりました。母がこんな事を思っていた事を初めて知りました。
入試当日、会場の前にいた先生にあいさつをして、同じじゅくの人といっしょに話をしたりしました。試験に何をどう答えたのかはあまり覚えてはいません。ただ、一問一問をまちがえないように解いたと思います。前日にも勉強をしたこともあって、かなり手ごたえがありました。いっしょに来てくれた兄もぼくなら合格できると言ってくれました。
その日はじゅくの開放日だったのでバスに乗っていました。すると、母からメールがきていました。それを見ると、思わずぼくはバスの中でガッツポーズをしてしまいました。
合格でした。
ぼくが合格できたのは、決して、試験に出てきた問題が易しい問題だったり、志望校が簡単だったからではないと思います。それは試験までのぼくの努力と家族や先生の応援があったからです。受験生活が終わっても、この気持ちを忘れないで、「次の勝負」まで気を引きしめていきたいです。そして、そんな気持ちで楽しくて苦しい、中学校生活を乗り切っていきたいです。
これが、ぼくがこの作文で書きたかったことです。