僕は一年生から家庭学習研究社に通っていました。塾で友達ができて楽しかったです。成績もなかなか良い方でした……
「四年生までは」
五年になると、成績は急降下。たまにいい点をとれば、次はまた悪い点をとる。まさにジェットコースターのようでした。だから、悔しくて人一倍勉強した……というわけではありませんでした。ふつうの人ならそうでしょうが、僕はそんなことでは、全く悔しくありませんでした。でも、まあ……そこそこはなあ……と思い、最低限のことはやりました。当然、最低限の勉強だから、成績は百番台をうろうろしていました。成績が悪かったので、心がだんだんあきらめモードになっていきました。
そして時は流れ、六年部の後期になりました。心の中では、
「もうすこししかない。勉強時間を二倍、いや三倍ぐらいにしなきゃ。」
という気持ちと、
「どうせ学院なんて受かりはしない。がんばってもムダムダ」
という気持ちがせめぎあっていました。でもこの時は、まだスイッチが入っていませんでした。
そして十二月。やっとスイッチが入ってきました。最終チェックを重点的に、三周ぐらいやりました。社会のプリントもたくさんやりました。そうして少しずつ身についてきたなと感じていました。実戦テストで少しだけ順位が上がったのを覚えています。
そしてむかえた受験本番の日。一日目は附属でした。もともと試験なれのつもりで受ける学校で、模試の判定はD。受かるつもりがはじめからなかったので、気軽に受けられるなと思っていました。
でも、当日の朝はなんとねぼう!でも、
「どうせ受からないからいいか!」
と、親と話しながら行きました。でも、思ったより解けてびっくりしました。その二日後。附属の結果発表の日。城北から帰り、少しひるねをしてから結果を見ました。まあ、あるわけないよなぁ…と思ってページを開きました。
「えっ、1031ある……」
と思わずつぶやいてしまいました。自分が附属に受かった……。学院志望でしたが、うれしかったです。でも、これがいけなかったのかもしれません。
学院の日、附属のことがあって、全くきんちょうしていませんでした。
思ったよりとけたなと思いました。
でもその次の日。学院の結果……「補欠」。
学院に落ちた……涙が出ました。なんでもっと勉強しなかったの……後悔の波が押しよせました。学院はくり上がりが少ない……終わった……そう思っていました。
しかし次の日。電話が鳴りました。学院のくり上がり通知です。母と一緒に泣きました。このうれしさは一生忘れないでしょう。
僕が受験を通して思ったことは、あきらめたら終わりということです(ありきたりだなぁ……)。今六年の人、今からでもおそくありません。あきらめずにがんばってください。
ここで、試験が終わってすぐするといい事を一つ、机のケシカスを回収することです。周りの人が少なくなってからやると効果的です。附属に受かったのもこれのおかげかもしれません。
最後に、六年間ぼくを支えてくれた五日市校の先生方、本当にありがとうございました。