私は4年生から家庭学習研究社に通い始めた。4年生の成績はそれなりに良く、塾に通うのが楽しかった。その頃はまだ受験のことなど考えておらず、ただ塾に行って友達と一緒に勉強をする、それぐらいの感覚だった。
5年生。理科と社会が増えるだけで宿題の量はどっと増えた。そして、勉強はどんどん進んでいき、あっという間に後期に突入。後期に入ってから、成績の雲行きはあやしくなり、徐々に落ちていった。そんな中迎えた5年生のまとめテスト。結果は、ほぼ平均並み。しかし、理科だけは点数が良く、30位を取った。「理科得意かも。」と私は思った。
しかし、それはただの勘違いだった。それを痛感させられたのは6年生になってから。6年生の学習量は、5年生の時とは比べ物にならないほど膨大な量だった。それでも、予習と復習だけは、きちんとやった。私にとっての最大の難関はプリントだった。なかなかペースがつかめず、予習復習、副教材で精一杯だった。プリントはたまっていく、成績は落ちていく、この繰り返しだった。
そんなある日、ついにマナビーテストで40点台をとってしまった。過去最低点だった。しかも理科で。「あの30位はどこにいった?」と思った。その結果を母に見せるのがすごく嫌だった。案の定、怒られた。
それから、「たまっていたプリントをやろう。」と心の中では思ったのだが、そううまくはいかない。たまったプリントは減っていくどころか、増えていくばかり。もう、どうすればいいのかわからなくなっていた。
それからも、成績はどんどん落ちていき、良くなる気配すらなかった。母には、数えきれないほど怒られた。よく「要領が悪い」と言われた。でも、私は「要領良くやれと言われても、どうすればいいかわからない。」という気持ちだった。だから、私は、先生にどうすればいいかを聞いた。すると、
「粘り強く考えるのはいいことだけど、どうしてもわからない問題は潔く諦めて次の問題をすることも大切。」
と、教わった。私はわからないところをいつまでも、考えることがあった。要領が悪いというのはそういうことかと思った。
それからは、「まず書いて考える。10分考えてもわからないならとばす。授業を聞く。それでもわからないなら質問する。」と決めて、問題を解いていった。すると、少しペースがつかめて、プリントにも手が付けられるようになった。成績は、というと理科・社会は簡単には伸びなかったが、国語と算数で、少しは点数を取れるようになった。そして、入試直前テストで、久しぶりにいつもより高い点数を取ることができた。私はすごくうれしかった。
そして迎えた1校目の入試当日。先生や家族からたくさん応援してもらった。私はあまり緊張しない性格なので、いつも通り受けることができた。
結果は合格。自信はあったが、合格を見て、やはり安心した。その後、計4校受験し、3勝1敗。第一志望の学校には行けず、少し悔しかったが、今までの自分の成績を考えると、納得の結果だと思った。
私は3年間の受験勉強を通して、最後まであきらめない気持ちは、本当に自分を強くさせると思った。もう、どうしていいかわからないと、あの時投げだしていたら、今の自分はなく、合格を勝ち取ることはできなかっただろう。
支えてくれる人がいたから、自分の力を出し切ることができたという先生や家族への感謝の気持ち。3年間頑張った、あきらめなかった自分を誇りに思う気持ち。この2つの気持ちを持って、今、私は広島女学院に行くことを決め、この学校で頑張ろうという意欲に満ちあふれている。
学校の国語の教科書に「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」という言葉があった。私はこの言葉を忘れず、強い意志を持って行動していきたい。