「受験がしたい。」
そう思ったのは姉が合格した時だった。とても喜んでいる姿を見て、自分もこういう感動をしてみたいと思った。
ぼくが初めて塾に行ったのは、会員選抜試験を受けた時だった。一番印象に残っているのは、休けい中、誰も立たずしゃべらず、ずっと座っていたという事だ。ぼくはこの時、なんてつまらない塾なんだと思っていた。だから塾初日は、とても緊張していた。しかし、始まってみると実際はとてもにぎやかで、一日で友達が五人位出来た。
それからというもの、塾に行く事が楽しくて仕方がなかった。そして、一回目のテスト結果の紙にニコチャンマークがあった。しかも、少し残念そうな顔をしていた。ぼくはその時、こういう評価を皆がされているんだなと思っていた。しかし後で知った事だが、それは順位にも載らない程の点をとった時に付くものだった。
あっという間に一年が過ぎ、迎えた五年部。ぼくのリュックの中には、常にぐちゃぐちゃになったプリントがあった。そしてクラスの中でもかなりうるさかったと思う。しかし友達はたくさん出来て、流行った遊び『消しピン』で、休けい中はいつも遊んでいた。
国語の授業では音読の時、みんなふざけて読み、いつも笑いが絶えなかった。おかげで塾は相変わらず楽しい場所だったのだが、成績は上がったり下がったりで安定しなかった。
ついに迎えた六年部。第一回目のテストで良い結果を出せて少しうぬぼれていたぼくに父は、
「まぐれだから、あまり気にするな。」
とひとこと。ぼくは、そんなはずはない。また次回も同じ様な点数を取れば良いだけだと思っていた。
しかし、二回目の結果が出て、父の言葉がよく分かった。さらにぼくに危機感が訪れたのは六回目位からだ。自分の思うような点数がとれなくなったのだ。友達にはスランプだとなぐさめられていたが、家族には実力通りと言われ、自分でもそう思った。実力を伸ばそうと努力したが、成績は伸びなかった。このままではまずい、一体何が出来ていないのか自分なりに考えてみた。原因は、理科と国語にあったので、理科は苦手な水溶液を重点的にやり直した。国語は補充プリントを解いて出して、をくり返した。返ってきたプリントには、必ずぼくの苦手な所を指摘する言葉が書いてあり、それがいつの間にかぼくの励みになっていた。
書いて下さっていたのはY先生で、授業もとても分かりやすく、面白い先生だった。先生は自分とぼくが似ているとおっしゃっており、ぼくにとって親近感のわく先生だった。ぼくの誕生日に国語の時間にハッピーバースデーを歌ってもらった時は、照れくさかったけれどとても嬉しかった。さらに伸び悩むぼくに
「実力はある。だがミスが人一倍多い。それを直すようにしろ。」
とも言ってくださった。雑にしないよう意識することで、大分ミスを減らせるようになった。
そして学院入試の前夜、ぼくはべッドのはしごから落ちてしまい、その勢いで本もなだれの様に落ちてきて、とても嫌な気持ちで寝た。試験が終わってからも不安な気持ちのままでいた。翌日、急いで家に帰り結果を見ると『合格』という文字が目に飛び込んできた。頭が真っ白になった後、だんだん意味が分かってきて
「よっしゃ~!」
と叫び、思わず号泣してしまった。頑張ってきた分だけ泣けて、その後涙が止まらなかった。こうしてぼくの受験は終わった。
家族や先生や友達がいてくれたから頑張れたので、全員に心から感謝している。最後に合格の秘訣はズバリ八時間の睡眠なので、皆さんしっかり眠って下さい。