『頭をよくするひみつ』
ぼくが初めて受験というものを知ったのは、小学2年生の時に学校の図書館で手に取ったこの本からだった。ただ、その時には「頭がよくなるひみつなんてあるなら読んでみたい」という単純な思いからだった。正直ぼんやりとしか覚えていない。確か、そこに書かれてあった「受験」という言葉で、受験をしたいと思ったのがスタートだった。
それからぼくは受験というものがどういうものかも知らずに、ただ頭をよくしてくれるものなんだと、ひたすら、「おれ、受験する!」と家族にも友達にも言いまくっていた。
「受験するなら塾に行かないとね」
そう言って母が調べてきてくれた塾も、バスに乗って通えて大人っぽいことができると思い、すぐに通い始めた。もうその頃には、何で頭をよくしたいかという答えがあった。ぼくの場合は「夢を叶えるため」だった。
それから、勉強との闘いが始まった。でも、苦痛ではなかった。夢を叶えるためにしていることだったからだ。ただ、ぼくの成績は伸び悩んでいた。5年も6年も。塾から言われた事は全部やった。課題もたくさんやった。先生にも聞いたし、成績の良い友達にも聞いた。ただそれらはすべて出来ていた。それなのに何で成績が伸びないのか、ぼくも母もどうしたらいいのかわからなくなっていた。そして、受験まで残り2か月となったとき、ぼくは苦しんでいた。闘っていた。勉強との闘いではない。もっとはっきりとしたものと闘っていた。それは「幼さ」との闘いだった。
「今日からスケジュール作ったから、この通りに過ごしてね」
父が突然ぼくのすべてを決めてきた。ぼくは、もう少しテレビを見てからとか、ゲームの切りがいいところでとか、今日は疲れたから寝ようとか、そんな理由で大体というか適当なというか、そんな計画性のない勉強の進め方をしていた。それでも、やることはちゃんとやっていたし、何の問題もないし、何が悪いのかと逆ギレしたいくらいだった。それを何度も何度も親と話し、衝突した。わかってくれなさすぎて泣いたこともあった。
しぶしぶ、いや、もはや強制的にそれは始まった。一分の遅れも許されない状況で、どんなにゲームのいいところでも、テレビの続きが気になる最悪の瞬間でも、時間がくれば次に行かなければならなかった。それがものすごくキツくて苦しかった。そんなぼくに、母が言った。
「まだまだ幼いね」
ムカついて、わざと足音を大きくたてながら勉強机についた。寝るまで引きずった。それから、ぼくは、幼さと闘い始めた。時間を守ることより、「幼い」ともう言われたくなかった。でも、そうして幼さと闘っていくうちに、いつしかすんなりと次にいけるようになった。諦めがよくなったのか、幼さに勝って大人になれたのか。それは、確実に勉強にも活かされていた。
今まではわからない問題をわかるまで解いていたけど、時間を決めて取り組んだら、次々と先に進められるようになっていた。今までの何倍も勉強の中身が増えて、時間を区切ることで集中してやれるようになった。今までとやることは変わっていないが、ただ確実に力になっていることだけはわかった。「そうか、今まではただ勉強をこなす作業のようなものにしていたんだ」と気づいた。そして、ぼくは幼さとの闘いの末、何とか合格できて今がある。中学受験とは「幼さとの闘い」だと思った。
ぼくにとってこれは結構大きな新発見だった。だから、伝えたいと思う。勉強だけじゃない、「自分の幼さに気づき、その幼さと闘う」という必勝法を。もしかしたら、ぼくたちがやるべきことには、勉強との勝負、幼さとの勝負、このどちらともがあって、それらを乗り越えてこそはじめて活かされるのかもしれない。
そしてぼくは夢の始まりをつかんだ。家庭学習研究社で本当によかった。