ぼくが小学校入学した頃、母から、
「オールマイティになんかなれないんだから、スペシャリストになって。これだけは絶対誰にも負けないと思えるものをこれから見つけてね。それが将来絶対に役に立つから。」
と、言われた。
学校では算数が一番得意で、4年で入塾してからのマナビーテストでも算数の点は良く、国語は明らかに苦手だった。ところが6年になってから、得意だったはずの算数がイマイチになり、ぼくは焦ってきた。そして、本屋で算数の問題集を新たに2冊買い、算数の勉強に力を入れた。家庭学の算数の完全チェックもさらにスピードを上げてやり、先生からは、
「クラスでもそこまで進んでいる子はいない、と言うか進む必要もないから、もっとスピードを落としてもいいから、量より質を!」
とアドバイスされるほどだった。勉強量を増やしてもなかなか思うような点が取れないぼくに、母は、
「受験では苦手科目がある方が命取り。結局、全教科そこそこできる、『全部そこそこ君』が最強なのよ。よかったじゃん、全部そこそこできるから」
と、笑って言った。
全部そこそこ君と呼ばれても、正直全然うれしくなかった。でも、考えてみると、確かにあれほど苦手だった国語も、家庭学の4年部からの訓練のお陰でいつの間にか記述も書けるようになり、今は得意だと思えるようにまでなってきた。算数で点が悪ければ国語が良く、社会が悪ければ理科が良い、その逆もあった。気が付けば、ぼくには得意科目も不得意科目も無くなっていた。総合順位ではいつも上位に入れている。「これでいいんだ」とぼくは思った。
受験当日、会場には算数が得意そうな人、国語が得意そうな人、賢そうな人たちが大集結していた。でも、今のぼくは『全部そこそこ君』。総合力で勝負すれば絶対勝てると確信した。ハイテンションでぼくは教室に入った。一人くらいは絶対知っている人がいるだろうと思っていたけど、誰もいなかった。急に緊張してきた。しばらくすると、ぼくの近くに友達の友達だと思われる人が座った。名前も知らないし、もちろん話もしたことのない人だったけど、やっと知った顔を見て、少しほっとした。試験は結構できたと思ったけど、みんなもできているだろうから、合格できているかはよくわからなかった。
合格発表を見る時、クリックする瞬間、ものすごいプレッシャーを感じて、ぼくはどうしてもクリックすることができなかった。今までさんざん『絶対に合格する』と大きなことを言っていたのに、結局ビビッている自分がおかしくなってきて、ぼくは一人で大爆笑した。すると、いつまでも笑ってクリックしない僕に後ろから母が、
「いいから早く押してよ!」
と、鬼のような顔でにらんできたので、ぼくの笑いは一気に冷め、今度こそクリックした。そこにはぼくの番号がちゃんとあった。本当にうれしかった。そして、これから中学・高校の6年間で、ぼくが何のスペシャリストになれるのか探していこうと決意した。